シァンインの炎

シァンインの地は水源の豊富な地であり、水神を崇める事で水が荒ぶらぬよう祈っていた。これはよく知られた話である。
魔物は火を操り耳と尾を焦がすだろうと言い伝えられており、シァンインの民は火から身を守るために、炎が皮膚を焦がさぬようにと獣の皮を被り、獣として生を過ごすようになった。
そして水を崇めるということは、火に纏わる怪異を恐れ、火を消すためでもあった。

──シァンインの王・浩然は、水の神を祀る祭司だった。
あらゆる天災を起こすベルムを封じ込める為に日々魔術の研究と兵の鍛錬を続けていたものの、ベルムはヒトの手には負えない程に強い。確実に勝てないだろうに研究など続けて良いのか、と民から心配や不満の声が上がるものの、浩然は諦めようとしなかった。
王に仕える者達は後に大規模の月隠りが起こることを占い師から聞いていた。
月がお隠れになる日はベルムが穴という穴から復活し我々を襲うとされている。その月隠りが数日間続くという予言が下されたのだ。
王は民の為にもベルム復活を阻止する為、魔術師と共に研究を続けることにしていた。

浩然には理解者がいた。名を滄波といった。滄波はまだ子供だが王宮へよく足を運んでは浩然についてまわった。
その双眸に浩然は国を統治する王としてではなく一人の人間として映っていた。純粋な子供だったのだ。浩然の鷹の翼と嘴を模したマスクは偉大なる王の証であるが、滄波にとっては浩然の顔立ちそのものが親愛の象徴だったのである。
浩然は良く散歩をし、民の前に現れた。その傍らで滄波は浩然の傍を離れようとしなかった。浩然もそんな滄波を可愛がり、周りも微笑ましく見ていた。
「浩然様、浩然様の翼の毛並みを整える為の櫛を買ったのです。毛並みの手入れはアニマとして当然の事ですから、浩然様もお手入れをなさって下さい」
滄波はそう言うと懐から櫛を取り出し、浩然の翼へあてがい丁寧に梳き始めた。
浩然は目を細め、滄波の好きなようにさせていた。心の広い王であった。滄波は浩然に甘えているのだ。浩然もそれを知っていたからこそ、滄波を自由にさせておく。
兵は不敬だと滄波を遠ざけようとするが浩然は笑って許し、兵を退かせた。
「浩然様」
「なんだ?」
「親を亡くした僕達孤児の理解者になってくださり、本当に感謝しております。浩然様が孤児院へお金を寄付してくれたおかげで、子供たちも飢えずに済みましたし、何より僕らは幸せです!」
「そうか、滄波。私はただ、王として子供たちに死んでほしくないだけだよ」
浩然は滄波の頭を優しく撫でながら、微笑んだ。
その様な微笑ましい日々を送っていたのである。しかしその日々は長くは続かなかった。

その年は数百年に一度と言われる月隠りがたいへん長く続き、民たちは恐れおののいた。
月隠りが続き、民たちの不安はどんどんと募っていった。王は民たちをなだめていたが、不吉な予感は的中する。
ある日、ベルムがシァンインの地に現れる。浩然は民を守るため、兵を連れて戦場へ出る。
ベルムの手により大地は干からび豊富だった水は枯れていった。何もかもを燃やし尽くす炎を吐くベルムに、民は逃げ惑い、兵も慄く中、浩然はベルムに向かっていった。
戦場と化した燃える大地を駆け抜けるアニマの少年がいた。滄波である。滄波は水がたんと入った桶を持ち、浩然の喉を潤わせる為と大地を走っていた。
浩然と邂逅を果たすものの、浩然は最早全てを諦めており、それでも駆けつけてくれた滄波に逃げろと告げる。滄波の持つ桶に入った水が震えていた。わかっていたのだ。水を運んだところで、もう間に合わないのだと。それでも滄波は桶を浩然に差し出し、水を差し出した。
浩然はそれを受け取り、飲み干して言った。
「──ありがとう。そして逃げてくれ。また会えるさ、滄波」
シァンインの歴史は長いが、このベルムが襲う前後の記録は殆どが焼けてしまい、僅かに残っている文献には浩然が神の力を授かりベルムを封じたとも、神が再び舞い降りてベルムを再度封じたとも記されている。
何れにせよ水の神と同じ力を持った者が火と共にベルムを封じたとされており、この歴史を堺により一層シァンインでは水神の信仰が強まったとされている。
輪廻転生を信じるシァンインの民は、炎で肉体と魂が分離し来世にまた生き返ると考えていた。王と国が緑豊かな地に生まれ変わり、また繁栄すると信じている。
浩然と滄波と同じ名を持つ者が生まれたのは、ここ最近の歴史であった。