機人アイドルがやりたい事に悩む話

多種族のアイドルが活動している国、ゼウシア。ゼウシアで活躍するアイドル達は、種族ごとに得意不得意が分かれており、種族ごとの得意分野を生かした活動をしていた。
機人であるルシフェル・アンブロシアも、ゼウシアで活躍するアイドルの一人。兄、ミカエル・アンブロシアと共に、機人アイドルユニット「ネクタル」として活躍をしていた。

部屋の中で柔らかくも力強い歌声と、熱い想いが込められたギターの旋律が響いている。ルシフェルが弾き語りをしていたのだ。
しかし、その弾き語りは曲の終わりを迎えることなく途中で止まってしまった。
「はあ……」
先ほどまで弾いていたギターを抱きしめるように持ち、部屋中に響く溜息をつくルシフェル。彼はひどく浮かない表情をしていた。
ネクタルは大手の事務所、「エクラットプロダクション」に所属しているアイドル。エクラットプロダクションは数十年前からある大きな事務所であり、幾多の有名アイドルを排出してきた。そしてネクタルも、街中の誰もが知っているアイドルであり、つい先日も大きな会場でのライブを満員御礼で成功させている。活動は順風満帆そのものであった。
しかし、ルシフェルには大きな悩みがあった。
ルシフェルは気を紛らわすように、端末を手にした後、誰でも自由に投稿発言が出来るSNSを立ち上げた。そしてSNSの投稿を眺める。画面の上で指を規則的に動かしながら、自動的におすすめされた投稿を眺めていた。しばらく眺めた後、ルシフェルは検索欄に文字を打ち込み、検索開始ボタンを押す。入力したのは、自分たちのライブに関する語句。すると、ネクタルのライブに行ったファンの感想が溢れんばかりに出てきた。
――ライブすごかった……! ネクタルの息ぴったりのダンスに見とれちゃった!
――ネクタルの二人のあの少しも乱れない歌声、魅力的だよねえ……!
――やっぱネクタルといったらあの正確さが最高なんだよ!
ファンはネクタルと、ネクタルのウリである機人の得意分野を絶賛している。嬉しさもある反面、重い気持がますます大きくなるばかり。そして、ルシフェルは検索欄に「機人 魂を込めた歌」と入力する。すると、先ほどの溢れんばかりの感想や投稿とは対象的に出てきたのは「検索結果がありません」の一言だけ。似たような語句で何度も検索したけれど、全くと言っていいほど何も引っかからなかった。
ルシフェルは端末の電源を切り、再び大きなため息をついた。
「……。やっぱり、今のままの方が、いいのかな……」
ぽつりとどこか不安げにルシフェルは呟いた。
機人の得意分野は正確さや機械的な動き。ネクタルは機人の得意分野である機械的で正確な歌声、そしてパフォーマンスでファンを魅了していた。しかし、得意分野もあれば苦手分野もある。機械的で正確なパフォーマンスは得意とする反面、魂を強く込めることや、わざとブレを作るような歌やパフォーマンスは苦手としていたのである。
それでも、ルシフェルは、機人が苦手とする、魂を込めた歌とギターでの弾き語りをしたいとずっと強く思っていた。しかし、SNSでのファンの投稿が証明するように、ネクタルのウリは機人の得意分野でのパフォーマンスや歌。ファンもそれを求めている。だから、自身がやりたいことをしてしまったら、得意分野で得た今までのファンを失望させてしまうのではないか、そして何より正確無比さがウリの機人の魂を込めた弾き語りに需要はないのではないか、と考えると、やりたい事をやれずにいた。
ギターを抱えながら悩むルシフェル。
「正確なパフォーマンスと歌声がほんっとうに大好きなんです……! これからも楽しみにしてますね……!」
ルシフェルの頭の中で、一人のファンの声が響き渡った。
先ほど、外出していた時に、声を掛けられたのだ。
「あ、あの……! ネクタルのルシフェルさんですよね! 私、大ファンなんです! こないだのライブも行きました!」
偶然ファンに遭遇したのだ。そのファンは、きらきらとした目でルシフェルの方を見つめていた。
「あ、ありがとう……」
ルシフェルはどこか緊張しながらファンに礼を言う。ぎこちなさがあった。こんな時、兄さんだったら、良い笑顔でファンサービスが出来たのかも、と少し申し訳なくなる。
「あの、この間のライブ、すごかったです! 二人の乱れのない動きと歌も、MCの正反対な感じも、本当によかったです……!」
しかし、目の前のファンは、ルシフェルの緊張やぎこちなさは気にせず、ルシフェルに会えた興奮でいっぱい、という風に話し始める。その時も、褒められたのは機人の得意分野だった。
「正確なパフォーマンスと歌声がほんっとうに大好きなんです……! これからも楽しみにしてますね……!」
自身に向けられた、ファンの子のきらきらとした瞳と、ファンの子が言った言葉が頭の中から離れない。自分がやろうとしていることは、もしかしたら需要以前にファン達への裏切りになりかねないのではないか、なんてことも考えてしまう。
そして、悩む彼の頭の中に過ったのは、先日行われたライブの光景だった。

観客席は二人を応援する黄色と白の光の魔法で埋め尽くされていた。ルシフェルの兄、ミカエルのイメージカラーである黄色い光。そして、ルシフェルのイメージカラーは黒であるため、光の魔法で表す時は白色が使われていた。
一曲目のイントロが鳴り響くと同時に、ファンの大歓声が会場中を埋め尽くした。間もなく青色の幻想的な光に包まれながら、ネクタルの二人がステージ上に現れる。二人が身に纏っているのは、高貴さを感じさせる王子様のようなデザインの服に、歯車などの機械的なモチーフを取り入れた衣装。
二人は曲に合わせて少しの乱れもない歌声とダンスを披露する。一糸乱れぬ機械的な、まるで繊細に作り上げられた無機物のような正確な、それでいて観客達の心を揺さぶるパフォーマンス。機人の得意分野を生かしたパフォーマンスがステージ上で繰り広げられていた。
(兄さん、やっぱりすごいな……)
隣でパフォーマンスをする兄ミカエルを眺めながら、言いようのない感情に苛まれていた。ルシフェルが隣で繰り出すダンスも歌声も、「天才」の動きそのものであった。必死に食らいつこうとはするものの、隣で歌い踊ると引け目を感じてしまうくらい、ミカエルのダンスも歌声も洗練された素晴らしいものだとルシフェルは感じていた。
音楽が止まり、一瞬の静寂が会場を包んだ後、大きな拍手と歓声が会場内を埋め尽くした。
「みんな~! こんにちは~! ネクタルのライブへようこそ~! わ~! お客さんがいっぱい~! 嬉しいな~!」
ミカエルがきらきらとした笑顔を向けて、客席に向けて手を振る。すると会場がさらに大きな歓声に包まれた。双子だというのに表情の作り方が全く違う。「天使の笑顔」と言いあらわしてもおかしくないような甘い表情であった。
「今日は来てくれて、ありがとう。最後まで、たくさん楽しんでいって欲しい」
ルシフェルも、観客立ちに向けて言う。観客からさらに歓声が広がる。しかし、ルシフェルが浮かべていたのは、ミカエルのきらきらとした笑顔とは対照的な、どこか無愛想さすら感じさせる表情。ルシフェルはファンサービスや笑顔を振りまくといった行動が不得手であった。自身の振るまいに、兄に対しての重い気持ちがルシフェルの中で広がる。隣で、きらきらとした笑顔を振りまく兄と心の中で比較してしまっていた。
「それじゃあ、次の曲行くよ~!」
ミカエルの声と共にギターの音色が鳴り響く。力強く、それでいて楽しげな音色が。二曲目は先ほどの曲とは対照的な、ファンがノれるような楽しさに溢れた曲。
ミカエルはルシフェルの隣で、ファンサービスで求められたピストルを撃つ真似をしたり、ルシフェルには作れないようなとびきりの笑顔を見せている。「アイドル」という言葉で想像するような花咲くような美しい笑顔。その甘い顔立ちと相まって、ファンからは黄色い歓声が上がっていた。
ファンが持つボードに「ピースして」という文字が見えた。ファンサービスをねだる用のボード。ルシフェルはそのファンのねだりを汲み取るように、ぎこちなくピースをする。これでいいのだろうか、ファンの反応を確認する暇も、悩む間もなく、曲は進み、ルシフェルはまた、一糸乱れぬコンビネーションを兄のミカエルと披露していた。
そして何曲か披露した後、二人の長めのMCが入った。
「俺とルシフェルの性格が違うって話なんだけど……」
MCでよく話題にされるのは、二人の私生活や性格の話であった。そもそも機人の双子というのが珍しい存在であり、ミカエルとルシフェルのように、好みや性格まで真逆の機人の双子はめったにいない。それも相まってか、双子の性格に関する話題は雑誌やバラエティ、そしてこういったライブやイベントの中でも、よく話題にされていた。
「この間の休みの日にね……」
ミカエルが話し始めたのは、少し前の休日の話。ミカエルがとあるCDを聴きたいと思って自室を探したがCDが見当たらなかったのだ。ミカエルは、ルシフェルに貸したと思い込んで彼の部屋に行ってCDを探しに行った。ルシフェルの部屋のCDはきっちり揃えて片付けられていたが、ミカエルの部屋のCDは収納、というよりも置いてある状態になっていた。
ミカエルは、そんな日常の何気ない出来事を、バラエティ番組のトークのように面白く話す。
「ね、ルシフェル?」
「あ、ああ、それで、僕の部屋にもなくて、お互いの部屋の中を探し回ることになったんだ」
ルシフェルもミカエルのトークについていこうとするものの、隣で、ミカエルのトーク力に圧倒されるばかりであった。
結局は聴きたいCDはミカエルの部屋、しかもかなり目立つ場所にあった、というオチを話すと会場からどっと笑いが巻き起こった。遠くにいるアイドル達がどこか身近な存在に感じられる瞬間を、ファンは楽しんでいたのだ。
ライブはその後もセットリスト通りに滞りなく進行していった。
「みんな~! ありがとう~! また会おうね~!」
「今日はありがとう。また来て欲しい」
観客の歓声と興奮が絶えないライブの時間が惜しまれつつも終了する。この時間が終わって欲しくない、と言わんばかりに観客席からはきらきらとした白と黄色の光がいつまでもきらめいていた。
ルシフェルの中にも無事に終わった安心感や、満足感や嬉しさはある。それでも、ルシフェルにとっては、100%満足した、とは言えないライブであった。心の奥に燻る本当にやりたいこと、そして隣で披露される兄の完璧で素晴らしいパフォーマンスを見て、ないものねだりのような、劣等感のような感情を抱いてしまったのだ。

「ふぅ……」
ルシフェルは気合いを入れ直すように、一つ息を吐くと、再びギターの弦を爪弾き始める。しかし、不安感からか、どことなく歌声も、旋律も乱れてしまっていた。それを自覚するも、上手く直すことが出来なかった。
一度演奏を止めようとした瞬間、がちゃり、と突然扉が開いた。
「っ!?」
突然の出来事に、ルシフェルはひどく驚き、同時にギターを弾く手を止めてしまった。ミカエルがルシフェルの部屋に入ってきたのだ。
「に、兄さん……!?」
「ごめんごめん、ちょっと来月の仕事のことで話があって。ノックしても出てこなかったから……」
ミカエルは言い終わらないうちに言葉を止める。そして、じっとルシフェルの顔を眺めていた。
「なんか悩んでる?」
「……いや、その……なんでも……」
一度は首を横に振って否定するルシフェル。しかし、ミカエルはルシフェルの答えには納得せず、視線をルシフェルから動かそうとはしない。まるでルシフェルの心の奥の悩みや不安まで見透かしてしまいそうな瞳。ミカエルに隠し事が出来る気がせず、ルシフェルはミカエルに悩み事を打ち明けることにした。
「実は……」
ルシフェルは、自身の悩みをミカエルに話し始める。ミカエルは相づちを打ちながら、ルシフェルの話を静かに聞いていた。
「最近悩んでたのはそれか~」
ルシフェルが話し終わると、ミカエルは納得したように大きく一つ頷きながら言う。
「……兄さんは、どう思う?」
ルシフェルは、ミカエルに訊ねる。
「大丈夫だよ。そんな悩まなくたって。やれば良いと思う」
ミカエルはルシフェルにすぐに答えを返した。悩む必要すらない、と言った、随分と楽観的な答え。
しかし、ルシフェルにとってミカエルのその反応は、彼が求めているものではなかった。むしろ、ルシフェルの抱えているもやもやとした気持ちをさらに煽るものにとってしまったのである。
天才肌でありパフォーマンスもファンサービスもそしてトークも、なんでも完璧にこなせるミカエル。ミカエルのことを、完璧で非の打ち所がない存在だと、ルシフェルは思っていたのである。だからこそ、ルシフェル自身が抱えている深い悩みを理解出来ずに気休めのように言葉をかけた。自分の立場に立たずに言った。ルシフェルはそんな風に受け取ってしまったのである。
「……天才だからそんな簡単に言えるんだ」
「え?」
ぽろ、と隠していた本心が漏れてしまった。
「兄さんは良いよな。いつも楽観的だし、天才肌……僕の苦労を知らないくせに」
ルシフェルは、俯きながら、苦しそうに吐き出した。
「天才の兄さんは、僕の悩みも、苦労も知らないから、大丈夫だって、軽く言えるんだ……」
そこまで言って、ルシフェルははっとした表情を浮かべる。感情のままに、言い過ぎてしまった。
「……! ごめん……言い過ぎた……! その……」
恐る恐るルシフェルは顔を上げる。しかし、ミカエルは一切動じていなかった。怒る気配も悲しむ気配も見えない。ルシフェルの気持ちは分かっている、というような穏やかな表情であった。
「そんなことないよ」
「え?」
「俺は完璧なんかじゃないよ。出来ないことだって、だめな部分だっていっぱいあるんだから」
ミカエルは、小さな子どもに優しく言い聞かせるような声色で言った。
「……」
申し訳なさからか、それとも天才で完璧な兄の口から「完璧なんかじゃない」という言葉が出てきたのが意外だったのか、ルシフェルの口から沈黙が漏れる。ミカエルは続ける。
「それに、俺は、ルシフェルのしっかりしたところとか、一生懸命で真っ直ぐなところとか、尊敬しているよ」
「尊敬……?」
「特にさ、ルシフェルの努力家な部分とか、マネできないなって思う。ルシフェルが俺よりすごいところも、いいところも、たくさんあるよ。近くでずっと見てきたから、ちゃんと知ってる」
ミカエルは、真っ直ぐルシフェルの目を見つめながら柔らかく言う。ミカエルの言葉に、ルシフェルの表情が少しずつ穏やかさを取り戻していく。ミカエルの言葉が、ルシフェルの悩んだ心の中に一つ一つ染みるようだった。
「それに、この間のライブのギターも、すごかった、って事務所でも話題になってたよ!」
「……本当に?」
「本当!」
実は、あの日のライブのギターは、ルシフェルが生演奏したものを録音したもの。そして、ライブのレビューやファンの感想の中には、ギターの生演奏そのものに対する好意的な感想もあった。それを、ミカエルは伝える。ミカエルのあの言葉は気休めではなく、きちんとした根拠に基づいたもの。
「さっきの大丈夫も、ルシフェルが頑張ってることはファンのみんなも、事務所の人たちもちゃんとわかってるから言ったんだよ」
「兄さん……!」
ミカエルはふわふわとした雰囲気と口調であり、楽観的な発言をすることはある。しかし、
ミカエルは実は現実的な正確をしていた。先ほどの「大丈夫」という発言も、ルシフェルの努力している姿やファンや事務所の者達の反応を見ての発言であった。
「だからさ、ファンのみんなも、事務所の人達も、ルシフェルのやりたいことを応援してくれると思うよ……!」
ミカエルはルシフェルに対して柔らかな笑顔を向ける。その表情に、悩んで重くなった心が少しずつ柔らかくなっていくのを感じた。
「ルシフェルは頑張り屋で物凄く偉いよ! 努力している、それは凄いことだからさ、諦めないでほしいな」
「……ありがとう」
悩みを打ち明け、助言をもらって心のもやもやが少しは晴れたようだ。ルシフェルの表情も少しだけ柔らかくなる。
「どうする? 今度のライブでやってみる?」
「ら、ライブか……」
しかし、ルシフェルの表情は、ほんの少し、迷いが残っていた。まだ、ファンの前で直接、系統の違う曲の弾き語りをする、という踏ん切りはついていないみたいだ。
踏ん切りが付かず、すぐに肯定の返事を出せないルシフェルと、彼を見守るように眺めていたミカエル。部屋の中にしばらく静寂が流れる。
「そうだ!」
そんな中、ミカエルが、突然良いアイデアが思いついた、という風に言い出した。
「撮ってみたらいいじゃん!」
「え?」
「弾き語りを動画に撮ってSNSに投稿! 良いアイデアだと思うんだ!」
「なるほど……!」
ルシフェルはミカエルの言葉に頷く。良いアイデアだと思ったようだ。するとミカエルは笑みを浮かべて、端末を手に取った。
「じゃあ、そうと決まったら、事務所に連絡して……」
ミカエルは端末の画面を操作して、事務所に連絡し始めた。コール音が当たりに響く。
「に、兄さん!? 何言って……」
「何って、事務所に配信の許可をもらおうと思って!」
ミカエルは今すぐにでも配信をする、という雰囲気であった。突然のことに、ルシフェルは驚く。
「ちょ、ちょっと待って! まだ、心の準備が……!」
「そんなこと言ってたらずっとずっと先延ばしになっちゃうよ~? あ、もしもし……」
ルシフェルが事務所のスタッフと電話をしている。そして、その後もとんとん拍子に話は進み、SNSで生配信をすることになったのだ。

陽がすっかり落ちた頃。ルシフェルは配信を行うことになった。
今までの人生で、こんなに緊張しながらSNSを立ち上げたことはなかった。アカウントを登録する時や初めて投稿した時でさえ、こんなに緊張はしていなかったと思う。配信ページの待機人数はまだ配信前であるというのに、非常に大きい数字が表示されていた。
配信時刻になり、画面を操作する。配信画面に自身の顔が映ったのが確認出来た。ルシフェルは画面の向こうに待機しているファンに向けて話し始めた。
「きょ、今日は来てくれてありがとう……」
緊張しながら、ミカエルは画面に向けて話し始めた。
「これから、弾き語りをしようと思っているんだ……」
受け入れられるだろうか。需要があるのだろうか。先ほどミカエルと話をして、楽にはなったけれど、それでも不安感がゼロというわけではなかった。
「その……いつものネクタルの曲と、少し、雰囲気が違うかもしれないけれど……。聞いてもらえたら嬉しい」
それでも、ルシフェルの中にはずっとやりたかったことをやれるという期待感もあった。
――ルシフェルは頑張り屋で物凄く偉いよ! 努力している、それは凄いことだからさ、諦めないでほしいな
ミカエルの言葉を、お守りのように脳裏に過らせて。そして、ファンに思いを伝えたい、という想いを胸に抱いて、彼は姿勢を正し、演奏をしようとする。
すう、と小さく息を吸う。緊張しながら、彼は、ギターの弦を爪弾き、喉を震わせた。
辺りに響いていたのは、ネクタルが普段披露している曲とは系統が違う曲。美しく柔らかく、そして力強い旋律が心地良く揺れる。彼の魂や想いがそのまま歌に込められている。
一音一音を丁寧に想いを込めて爪弾き、歌詞の一つ一つに魂を込めながら歌う。
緊張感や不安感は、いつの間にか、自身が抱いているものを、届けたいという気持ち、そして、ずっと願っていたことをやれている充実感へと変わっていった。
流れてくるコメントを確認する余裕なんてない。それでも、ルシフェルは、画面の向こうで見てくれているファン達、今はまだ観ることが出来なくても、後から観てくれるファン達……、これからネクタルを知る誰か……一人一人に届けるように、魂を込めて歌を紡いでいた。
ギターの最後の一音を爪弾いて曲が終わる。
「……聴いてくれて、ありがとう」
ルシフェルは視聴者に向けて礼を言う。そして、配信を終了する旨の挨拶をした後に画面を操作して、配信を終了した。
「はぁ……」
彼は緊張感を逃がすように、大きく息を吐いた。やり切った、というため息。同時に不安を吐き出すようなため息。
今はいっぱいいっぱいで、コメントを確認する余裕も視聴者数を確認する余裕もなかった。余裕がない、というよりも怖かった、と言った方が正しいかもしれない。ファンが失望してしまうかもしれない、否定的なコメントに埋もれているかもしれない、と思うと、開くことが出来なかった。それでも、やりきった、という満足感があった。
明日起きて落ち着いたらコメントを確認しよう。ルシフェルは就寝の準備をするために一度部屋の外に出た。
待っていてくれたように、ミカエルが部屋の前に立っていた。
「お疲れ様。ルシフェル」
「兄さん……」
ミカエルは、「すごく良かったよ」と一言だけルシフェルに告げた。もしかしたら、ミカエルは配信を観ていたのかもしれない。今のルシフェルが求めているのはその言葉だけだとミカエルは判断したのだろう。
「うん……ありがとう、兄さん」
ルシフェルが礼を言うと、ミカエルは柔らかな笑顔を見せていた。

次の日の朝。どこか眠気が冷め切らないまま、ルシフェルは目を覚ます。眠りにつくことは出来たものの不安感はあり、安心しきって熟睡、とはいかなかった。
ルシフェルは目を覚まして一番に、端末の電源を付け、配信を行ったSNSのアプリケーションを立ち上げ、自身の昨日の配信のページを開く。
開いた瞬間目に入ってきたものを見てルシフェルは驚いた。たくさんの高評価、そしてコメントが付いていた。

――すごい、感動して泣いちゃった!
――あんな歌い方ができるんだね……! もっと聴いてみたい!
――今度のライブでやってくれないかなあ!
――生で聴きたい!
――リアルタイムで見たかった~! でも、録画したの何回も聴いてる!

付いていたコメントは、好意的なコメントや応援のコメントだった。ルシフェルはそのコメントを一つ一つ、大事に心の中に刻みつけるようにして読む。端末を眺めるルシフェルの口元には笑みがこぼれていた。

生配信から数日後、ルシフェルは再び、仕事のために事務所に向かおうと、街の中に出ていた。
「る、ルシフェルさん……!」
ファンに声を掛けられた。声色で先日、声を掛けられたファンの子だとわかった。帽子とマスクをしていてうまく表情を伺えない。
「あ、この間の……!」
ルシフェルはぺこり、とお辞儀をした。
「あ、あの……! この間の生配信見てました……!」
ファンはルシフェルに対して言う。その言葉を聞いた瞬間、ルシフェルの身体に緊張が走る。そのファンの子はネクタルの売りである機械的な部分が好きだと言っていた。だから、もしかしたら、不満や失望の言葉を言われるかもしれない。何を言われるのか気が気ではなかった。
「最高でした……!」
けれど、ルシフェルの緊張とは裏腹に、ファンの口から出てきた言葉は、感激の言葉であった。あの日と変わらない、きらきらとした瞳で、ルシフェルを見つめている。
「もうすっごくすっごく感動して……! 今までの、正確な歌とかダンスも大好きなんですけれど、この間の弾き語りもすっごくよくって……!」
目の前にいるファンは興奮気味にルシフェルに対して配信の感想を伝える。ルシフェルはファンの様子を見て思わず頬が緩んだ。
「本当に素敵な配信ありがとうございました! また、是非聞かせてください!」
「……ああ、ありがとう」
去って行くファンに向かってルシフェルは手を振る。ルシフェルの表情はとても満足そうな、幸せそうな笑顔であった。

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ハルベニエ様に執筆していただきました。ありがとうございました!